今週の三鷹人

Back Number

 
mitaka_calendar.html

no.7

三鷹・武蔵野フリーペーパー『吉之助』

編集人 横山京さん

「教祖の誕生だ!!」奈良公園に響き渡った叫びと共に鹿の大群の中から横山少女が姿を現した。中学校の修学旅行で「奈良中にいる全ての鹿を集める」と言って友達から鹿せんべいをかき集め、その言葉の通り…鹿鹿鹿鹿鹿横山鹿鹿鹿鹿鹿…鹿の大群の中に横山少女は埋もれた。このエピソードは伝説となったという。「私の前世は多分、武士になりたいけどなれずに橋の袂のかわら版を見ながらあ~だこ~だと言う町民だったと思う」と語る。ガンダム、新撰組、7人の侍、三国志…全てにはまったが、その物語自体に興味は薄く、その物語に隠されている『組織図』を書き出し、それを眺め快感に浸った。そんな一風変わった学生時代を過ごした。高校卒業後は絵が好きだったこともあり、デザインの専門学校に通う事に。その後、様々な仕事をしながら友人宅を泊まり歩く居候生活が始まった。一時期務めていた会社内では『妄想クラブ』なるものを作り、毎日テーマを決めてひたすら仲間と妄想する日々。その後フリーライターを経て、2009年4月三鷹・武蔵野地区限定の

フリーペーパー『吉之助』を発行するに至る。これは長年過ごしてきた武蔵野をもっと多くの

人に知ってもらいたく…というわけではなく「ただやりたくなったから」と彼女は語る。彼女は自分のやりたいことが頭に描けたら動かずにはいられないのだ。取材、編集はもとより、5000部にも及ぶ配布もスクーターにまたがり一人で行う。そんな横山さんが次に閃いたのは…三鷹・武蔵野地区の店舗サイト運営だ。これも動機は「ただやりたいから」彼女の口からは次々と温めているアイディアが語られる。そして最後の到達地点は『村を作る』こと。様々な人が集まって自分の特技を生かしながらの共同生活。きっとその村は横山京という教祖のもとに笑いに包まれているのだろうと僕は妄想する…。 さあ、あなたも『吉之助』を手に取り日常とはちょっと違う彼女の世界を垣間見ては?

no.6

Cafe Hi famiglia 店長 鈴木佳範さん

鈴木さんは、岩手県の新鮮な食材と美味しい水に育まれ、高校は県でも有数の進学校に進学。

しかし勉強ではなく、ファッション、音楽、アートなどに没頭することに…。

そんなある時「日本は経済大 国として豊かだと言われているのに、何故海外の文化やライフスタイルに憧れるのだろう?」と…。日本にいては自分が憧れる文化、ライフスタイルに触れる機会が少ないと思い、卒業後の進路にイタリアの『ペルージャ大学』を選択。しかし当然周りの理解は得られず、大学進学とイタリア語の夜間学校とのダブルスクールのため上京。東京には、岩手では見られない多くの文化、ファッション、人が溢れていた。それとは別に東京に暮らす人のライフスタイルも目の当たりにした。それは自宅から職場までの往復という生活の中で自分だけの時間というものが極端に少ないというものだった。そんなある時イタリアには『カフェ』という空間が多くあることを知った。その空間には様々な飲み物、食べ物があり、そこでは通勤途中のサラリーマンから物思いに耽る人まで様々な人が自分の食べたいもの、飲みたいものを片手に思い思いの自由な時間を過ごしていた。鈴木さんは「僕がカフェのような日常の中で誰もが『いつでも時間のワンクッションをおける場所』を日本に作ろう。」と思い、就職活動はせず、カフェ実現の為に当時住んでいた三鷹でカフェ修行を始めた。エリアマネージャーを経て8年後には独立。『Cafe Hi famiglia』を開店した。それから2年、親子連れ、打ち合わせをするビジネスマン、昼間からお酒を嗜む近所のおじさん、ソファで寛ぐカップル、読書を楽しむご老人…街の喧騒から離れ1つの空間でそれぞれがそれぞれの自由な時間に身を委ねている。鈴木さんは「ここで売っているのは食べ物ではなく時間。僕が感じた豊かさに共感してくれる人が増えて、ここから少しでも本当の豊かさが広がれば嬉しいよ」と話す。 Cafe Hi famigliaで自由時間を満喫☆

後のことはそれから考えよう…。(き)

東八道路の外れに一件の農家がある。それが吉田農園だ。吉田農園は全国でも無農薬有機栽培の先駆者として有名な農家だ。農薬・化学肥料を使用し、生産性の高い農業が求められていた時代に安全な食べ物とは何かを想い無農薬有機栽培の野菜作りを始めた。先代が有機農法始めたとき初めの6年間は作物が一切収穫できなかった。周りの農家からも奇異な目で見られ、結果が出始めてからもなかなか周囲には認められない…。吉田さんは小さい時からそんな状況を目のあたりにしながら一番近い場所で本物の農業に触れてきた。幼い頃や、学生時代はもちろん、社会人になってもからも休日には畑仕事を手伝った。2年前に現在の畑を必死の想いで耕してきた父親が入院。それからは祖母と母親で畑を耕してきたが、負担が二人に大きくのし掛かった。それを見ていた吉田さんは今年の3月でインテリア関係の仕事を辞め、牟礼にある実家の吉田農園園主となった。今まで父や祖母から譲り受けた知識や経験は数知れない。しかし実際に自分で農業をやってみるとそれよりも自分の感覚を研ぎ澄ますことが重要だと言う。土の状態や気象条件は毎年異なり、前年と同じ状況ということはあり得ず毎年が実験の繰り返しと語る。そんな中でとても大切なことは作物に声をかけ続けることだと言う。あまり真実味がないことの様に思えるが、実際、声をかける頻度と収穫量には大きな関係性が見えるそうだ。しかしこのように、確実な収穫量を確保できないリスクを背負い、様々な実験を繰り返しながら農業ができるのは兼業農家だからこそできることだと話す。現代において農業だけで生活していくには一定の規格で常時出荷できるものを作らなければならなず、また有機農法を行うには様々な課題があるため、それにはやはり農薬・化学肥料が有効であるという現実がある。安全な作物を作れる環境に自分がいるからこそこれからも『ちゃんと虫が付き、ちゃんと甘く、ちゃんと酸っぱい野菜』を作っていきたいと願う。さぁ自然と吉田家の情熱と愛情に育まれた野菜を味わいに吉田農園へ。 

no.8

吉田晴彦さん

長いこと音楽専科で小学校の教諭をやっていた山崎さんに転機が訪れたのは今から15年前…両親から一人の女性を紹介された。その人が山梨県に住む画家、松島かじゅ子だ。出会い当初から彼女の口数は少なく、部屋は足場もないほどに大量の猫で溢れ、時折「人間は恐い」という言葉だけを口にしていた。松島かじゅ子は元々、中野に住みながら家の周りにいる野良猫や家の前に捨てられていく猫達を全て自分の家に引き取り、その猫達をモデルに画を描いていた。

 しかし増え続ける猫に近隣からの苦情が殺到し40匹程の猫達と共に山梨県に移住することになる。彼女が看取ってきた猫たちはかれこれ200匹を超える。山崎さんは彼女の「草も木もヘビも小鳥もそして犬も猫もみんな同じいきもの、みんな同じいのちのおもさ」を地で行く生き方に感動した。「自分はこのような生き方はできないけれどこの人の生き方を伝えることはできる」と考え、松島かじゅ子の生き方に共感してくれた仲間と共に音楽集団またたびアンサンブルを結成した。松島かじゅ子の個展などを開きながら山崎さん自身も音楽を通してメッセージを伝えたいと思い、年に1度

の「ねこんさーと」が始まった。そして10年・・様々な人々と小さな生き物たちの実体験を基に書きあげた手人形ミュージカルも始まり、好評を博している。

 全ての作品に「どんなに醜くても、どんなに汚くても全ての生き物はいのちがあるだけで認められる価値がある」というメッセージを込めた。山崎さんは1年前に退職し、小学校講師として働く傍ら、市内で獣医さんの協力を得て野良猫に不妊去勢を施し地域猫として世話をしたり、里親を探したりする活動を行う友人の手伝いを自分のできる範囲で行っている。今後も写真展やコンサート、手人形ミュージカルを開催し、子供たちに「いのち」の大切さを伝えていきたいと願っている。

 街で野良猫たちを見かけたら、命の価値を考える。今日も山崎さんは、目の前にある尊い命を優しい眼差しで見守っているだろう・・・(き)

no.9

またたびアンサンブル 

 代表     山崎かおるさん